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姿勢が悪いから情緒に敏感になる

記録を趣味にしていきます。自我をつくろう。

伊藤野枝伝を読んで痺れた話

本を読みました。素晴らしい本だったので感想を書きます。 

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

 

  読書感想文とか昔から苦手で、高校の頃ちょっと逆ギレ気味にテクニック全開で書いたらば、それが優秀!花マル!みたいになってそこからもう全部嫌いになりました。でも今回書きたいなと思ったのはむしろその読書感想文とかあったなあという記憶からの繋がりだと思うし、本を読む、からの感想をまとめるという自分におとしこむ作業って改めてやってみると実は面白いのではないか、リズムとか言葉の選び方とか誰にも気兼ねなくやってしまえば一人暮らしの男飯よろしくにんにく醤油味!みたいな大味かつ「これこれ」と再発見または再確認とかできたりするのかなという実験です。

 本の話。伊藤野枝、この人めちゃくちゃカッコイイですね。カッコイイという言葉にはしばしば音楽が比喩されるもので、安っぽい感想で申し訳ないんですけど、ロックを感じました。ロックを自分なりに訳すと自立反抗になるんですけど、野枝はまさにそれ。ここ(田舎)から出て東京に出てしこたま学びたい、を皮切りにもうやりたいことやりまくり。でもそれが原因で周囲からは輪をかけて怒られる。しまいにはボコボコにされて殺されちゃう。野枝の思想は単純明快だったと思う。それは「答えを1つにすんなボケ」だ。

・結婚したからって家庭に女を縛んなボケ

・労働者を弱者だと思い込むなボケ

・汚い職業とかないんじゃボケ

こうしてみると野枝が言ってたことはまあシンプル。ただ語気がかっこ良すぎた。もうスター性出まくってただけだ。だから腫れものにされた。モダンのその先、ポストモダンの現代になって初めて野枝さんマジわかるぜ的な状態に国全体がなってきたけどそれだって仕方なく政策としてやってるからにすぎないし、婚活とか幅きかせている限り野枝が戦っていたリングは残り続けるだろう。厄介なのは野枝が否定していた、答えを1つに絞る悪い権力の使い方で幸せになる人達がしっかりと存在し続けるということ。家庭に入り、妻と母の役割に生涯を注ぐ人に、あんたそれでええんかい?と俺は言えない。野枝は絶対言うけど。資本家とか上層の人たちは階層意識が背骨になってるひともいる。その人達は啓蒙とかそういうことではなく、意識的に差別を選び、それは区別だと自分に言い聞かせている。ホントにまじでもう一回野枝生き返ってほしい。絶対人気出て5時に夢中のレギュラー決定だ。というか現代のバリキャリのお姉さんが大正時代にタイムスリップしてる気すらする。そういう信長コンツェルトみたいなマンガやアニメみてみたい。野枝は殺される時泣いたかな。まあ泣かないだろうな。彼女の魂の歴史が泣かせないよな。睨み続けただろうな。そこから見えた全てを。

 くしくも野枝ぶっ殺されたる街、東京の都知事が初めて女性になった。でも権力値100%みたいな男共が邪魔しまくるようにしか思えない現状もあって、俺はこの先なにに注目すればいんだろうか。